インドでのボランティア

1年目が終わり、大学生以来の長い夏休みであった。文字通り世界各地でのインターンシップに大きな期待と少なからずの不安も抱えて向かった同級生を横目に、インドへと歩を進めた。ご縁があって、わずか2週間だけではあるが、UNESCOが協賛するプログラムの一環である世界遺産保全のボランティア活動に参加させていただく機会を得たのだ。インド南部の小さな町、Badami、同級生のインド人は北部から来た者が大勢で、誰に尋ねてもその町については名前も聞いたことがないという。夜行バスに揺られて着くと、土埃だらけの道。人に雑じり犬、鶏、牛、猿に豚とが陽の下を往来していた。

roadroad2

 

 

 

 

 

 

 

世界遺産となってある程度観光客は訪れるようになったものの、地元の人々の生活水準を大きく向上させるほどには恩恵を受けることがなかった。翻って地元の人々が遺跡を軽視し、遺跡自体が損なわれることを派遣元は危惧しているとのことだった。そこで遺跡自体の保全作業はもちろん、地元の人々へ遺跡や周辺環境の整備・維持の重要性を説明し、理解していただき、将来の行動に繋げるというのがボランティア派遣の目的だった。

 

プログラムの中、少なくない時間が地元の子供達との交流にあてられた。訪れた学校は電気も水道も通っていなく、校庭に溜まったゴミを豚の親子が漁っており、職員室の黒板には各クラスの男女別の数だけでなくカーストの低い子供の数も明記され、教師は子供が騒ぐと枝のようなものでぴしゃりと打ち据え、それでも大勢の子供達が裸足で走り回り、カーストが低いのであろうか数人の子供達が距離を保ち校庭の隅で土を掘り返しては埋めていたのを、まなざしていた。

school

ゴミを路上に放置せず町を清潔に保ち、遺跡を損じることなく、いま以上に観光客を呼び込むことができれば、生活の質はより良くなるはずだ、と英語と通訳を介した現地語で授業を行った。子供たちは理解しているように見えたし、我々が遺跡の周囲の清掃を含めた保全活動を行っているところが地元新聞とテレビ局に取り上げられたことから、ある程度目的は果たせたのではないかと参加者間で自賛し合った。

 

Badamiを発つ数日前、町の中にある、世界遺産ではないが重要なものだという人造湖と遺跡群に、子供たちを連れて写生を行った。女たちが湖で洗った衣服を石段に叩きつける音が響き、その傍らではまだ小さい幼児が水遊びをしている。しばらくすると遺跡の管理人を名乗る男が我々に退去を命じた。子供が訳してくれたところによると「管理上危ないから」だと言う。ここも観光地になってしまえば、女たちはどこで洗濯をして、子供たちはどこで遊ぶのだろうか。

lakelake2

 

 

 

 

 

 

ロンドンに帰り、同じスタディグループのインド人に新聞記事を見せると、それはローカルな言語で書かれていて読めない、という。ボランティアは得難い経験であったが、地元の人々の居場所を奪う一助でしかなかったかもしれないと思うと、ふと、しらけた気分になった。photo

(MBA2014 T.T)

南米への旅

18歳で日本を出てから10年程度、その間に色々な場所を訪れる機会があった。様々なアジアの国々、ヨーロッパ、アフリカ大陸、そして3年余り滞在したニューヨークなど。

 

できるかぎり遠くへ行きたいとずっと思ってきたが、なぜそう思うのか説明することもできないまま、それでもその思いは変わらなかった。そしてまた、遠くへ、と思うときの基準となり中心点である場所が日本であり続けることも変わることはなかった。同時に、いつの頃からか僕は遠い場所で出会う日本人に興味を持つようになった。

 

Term2が終わり、二週間強の春休みに僕は南米へ向かった。マチュピチュ遺跡やウユニ塩湖などを訪れるバックパッカーや旅行者に、国際NGOや企業を通じて南米で働く日本人に、そして様々な理由から戦後に南米へ渡った移住者と彼らの子孫に出会うために。

 

ある若者は日本の大学の春休みに「世界の果て」と言われる景色を見に来たという。

あるカップルはお互いに仕事を辞め世界を周っているが結婚もしないという。

ある女性は中米の大学で学んでいるが卒業後に日本へ帰るか中米に残るか迷っているという。

ある男性は南米での仕事に意義と同じ程度の疑問を感じることもあるという。

ある老人は文字通り食べるため、生きるため南米に移住し、何十年も祖国の地を踏んでいないという。

ある子供は南米で生まれ育ち、国籍はなくとも日本にいつか渡ることを夢みているという。

2013 South America 220           2013 South America 302

MBAの授業では日本の事例が採り上げられることが少なくなく、その度に日本人学生は授業に貢献すべく発言を求められる。そうした場面で日本代表として積極的に発言する友人が僕には眩しく見え、頼もしく思える。一方で僕は、日本人としての自分の意見が旅の最中にあった日本人たちの、そして日本で働いている友人や諸先輩方のそれとも異なるだろうことを気にしている。

 

国民という単位は「想像の共同体」でしかなく、「ある国の一員として」発言をするときに政治的な力学が働いてしまうのかもしれない。ペルーの屋台で僕へのお釣りを誤魔化そうとした男と、ロンドンで学生には背伸びした感のあるディナーを僕と食べるペルーからの学生は同じ意見や価値観を共有していないかもしれない。

 

それでも旅から戻り授業が再開したときには、僕は日本人として意見を述べるだろうし、他の国の人の意見を聞いてその国の何かを理解したつもりになるのだろう。

 

夏の終わりの南半球から戻ると、ロンドンには少し春らしさを感じとれる風が吹いていた。

(MBA2014 T.T)

チュニジア

5日ほどチュニジアへ行ってきた。ロンドンからだと2、3時間で行ける。首都チュニスで出会った日本人の女性旅行者はドイツを経由して20時間をも費やしてこの国に入ったという。それに比べるとロンドンからの旅行は気軽で楽だ。

既にチュニジアを1カ月旅しているという彼女は数日のうちにモロッコへ向かうとのことだった。メインストリートであるハビブ・ブルギバ通りは22時というのに賑わっており、僕はオープンカフェでオレンジを絞っただけの温いジュースを飲んだ。通りの中央にある遊歩道には革命から2年が過ぎることが記された旗が静かにたなびいている。砂漠を見たいんです、と言うと彼女はクサール・ギレンという地名を教えてくれた。砂漠もいいけど星空が綺麗だという、願いが足りなくなるぐらいの流れ星が流れている、とも。

ルアージュと呼ばれる乗合バスを町から町へ乗り継ぎ、サハラの大砂丘の入り口と呼ばれるドゥーズという町へ着いたのは3日目の昼だった。そこから更に現地のツアーガイドを雇い車で4時間の道のりだった。クサール・ギレンとは砂漠の中のオアシスにある村だった。砂漠を臨む建物の屋根で若者が3人コーヒーを飲みながら夕陽を眺めていた。

Tunisia2013 126          Tunisia2013 159

砂漠の夜は冷えたが彼女の教えてくれたとおり星は綺麗だった。新月で月明かりが邪魔をしないだけ彼女が教えてくれたよりも流れ星は多かったのかもしれない。

チュニジアから戻ると深夜のロンドンは雪が降っていた。目を閉じて朝になると、もう新学期が始まるのだ。
(MBA2014 T.T)

上海Trek

10日ほど上海に行っていた。

うち、1週間は学校の上海トレックなるものに参加し、コンサルティングやロレアル、J&Jなどの欧米企業の中国オフィスに加え、香港の不動産会社やLBSの卒業生で昔AlibabaのCOOをやっていた人物を訪れるなど、盛りだくさんの内容であった。

自身3度目(1度目は2005年、2度目は2010年)の上海へのVisitだったが、今回比較的長くいたことと、色々な会社を訪問できたことで、中国のビジネスを各会社がどのように捉えているのか、肌感として分かったのが大きい。

1.基本的に各社とも内陸部に広がる中国の巨大消費市場をどう捉えていくか、という観点の話が多く、上海自体は飽和、との認識。

2.競合の半歩先のスピード感を持って、新たな需要を先行して取り、どう先行者利益を上げていくかが重要。

と、基本的に聞いたことのある話でも、毎日2~3社訪問してこれだけ同じメッセージを各社から受けると、大分こちらもConvinceされてくる。

また、日本を含む先進国の市場ばかり見ていると、iPhoneとかは別にして、特に差別化要素の高くないConsumer goodsでめちゃくちゃ儲かるという話はまず無いので、そもそも1の前提となっている「捉えれば=売れれば」儲かる、という考え方自体が、「いわゆる付加価値なんて相対的なものなのですよ」、とImplyしているようで、当たり前なのに新鮮に響いた。

なお、LBSは交換留学が盛んで、留学先に上海のCEIBSも検討していたが、中国・アジアは自分のキャリア上絶対経験するだろうし、折角なので、アメリカに行こうかと考えている。

在校生ブログ「ロンドン留学生活|音楽とサッカーとPintと」より転載

週末にオックスフォードを訪問してみる。

週末はふらっと学問の街オックスフォードへ。その起源は西暦700年に修道院が建てられ、13世紀頃に修道士が集まったことから始まったらしい。ロンドン・Paddington駅にて往復チケットを買い、そのまま電車に乗り込む。通常は直通電車があるが、小さな雨によって車両故障ということで途中で乗り換えを余儀なくされ、1時間半くらいでオックスフォード駅に到着。まずは駅前の近代的な建物が目に止まるが、London Business Schoolと同じMBAのためのThe Saïd Business School-the University of Oxfordだった。

111212pub_20111213075050
昼飯時にちょうど雨も降ってきたので、空腹を満たすべく、まずは最初に見つけたThe Four Candlesというパブに入ってランチ。イギリスではSunday Roastなるものがパブで日曜に提供されているが、なんとビールとセットで7ポンド。ビール1 pintは2ポンド超。ロンドンの半額くらいしかしない。店員さんに聞いてPride of Oxfordという地ビールを頼んでみる。体に悪いと分かりつつも、昼から飲むビールは最高である。

 

 

 

 

 

 

 

111212harry

ほろ酔い気分で更に10分くらい歩いて市内へ。まずはCollegeの中でも大聖堂を持ち、規模が大きいクライスト・チャーチに到着。下記の食堂Great Hallは「ハリーポッター」の魔法学校の食堂のモデルになっているらしい。いずれにしても見るものすべてが歴史の重みを感じさせ、荘厳な雰囲気となっている。また、その後に皇太子殿下が在学されたマートン・カレッジなどにも立ち寄ってみたが、残念ながらこの日はvisitorは見学不可であった。ただ、印象的なのはこのような歴史的な建物群が、実際見学させて頂いている間にもまさに学生によって代々と使われていて、更にどのカレッジも志願者については内部見学可と常に門戸を開いているところ。まさに生きる歴史的な学園都市という感じがした。ロンドンからは1時間に1・2本電車が出ており、帰りは1時間15分くらいでPaddingtonに到着。

 

在校生ブログ「ロンドンビジネススクール(LBS)MBA留学記-国際金融修行中」より転載

(c) LBS Japan Club 2012▲ ページ先頭に戻る