18歳で日本を出てから10年程度、その間に色々な場所を訪れる機会があった。様々なアジアの国々、ヨーロッパ、アフリカ大陸、そして3年余り滞在したニューヨークなど。

 

できるかぎり遠くへ行きたいとずっと思ってきたが、なぜそう思うのか説明することもできないまま、それでもその思いは変わらなかった。そしてまた、遠くへ、と思うときの基準となり中心点である場所が日本であり続けることも変わることはなかった。同時に、いつの頃からか僕は遠い場所で出会う日本人に興味を持つようになった。

 

Term2が終わり、二週間強の春休みに僕は南米へ向かった。マチュピチュ遺跡やウユニ塩湖などを訪れるバックパッカーや旅行者に、国際NGOや企業を通じて南米で働く日本人に、そして様々な理由から戦後に南米へ渡った移住者と彼らの子孫に出会うために。

 

ある若者は日本の大学の春休みに「世界の果て」と言われる景色を見に来たという。

あるカップルはお互いに仕事を辞め世界を周っているが結婚もしないという。

ある女性は中米の大学で学んでいるが卒業後に日本へ帰るか中米に残るか迷っているという。

ある男性は南米での仕事に意義と同じ程度の疑問を感じることもあるという。

ある老人は文字通り食べるため、生きるため南米に移住し、何十年も祖国の地を踏んでいないという。

ある子供は南米で生まれ育ち、国籍はなくとも日本にいつか渡ることを夢みているという。

2013 South America 220           2013 South America 302

MBAの授業では日本の事例が採り上げられることが少なくなく、その度に日本人学生は授業に貢献すべく発言を求められる。そうした場面で日本代表として積極的に発言する友人が僕には眩しく見え、頼もしく思える。一方で僕は、日本人としての自分の意見が旅の最中にあった日本人たちの、そして日本で働いている友人や諸先輩方のそれとも異なるだろうことを気にしている。

 

国民という単位は「想像の共同体」でしかなく、「ある国の一員として」発言をするときに政治的な力学が働いてしまうのかもしれない。ペルーの屋台で僕へのお釣りを誤魔化そうとした男と、ロンドンで学生には背伸びした感のあるディナーを僕と食べるペルーからの学生は同じ意見や価値観を共有していないかもしれない。

 

それでも旅から戻り授業が再開したときには、僕は日本人として意見を述べるだろうし、他の国の人の意見を聞いてその国の何かを理解したつもりになるのだろう。

 

夏の終わりの南半球から戻ると、ロンドンには少し春らしさを感じとれる風が吹いていた。

(MBA2014 T.T)

(c) LBS Japan Club 2012▲ ページ先頭に戻る